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世界最古の十進法の計算表、中国で発見

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世界最古の十進法の計算表、中国で発見

230×10はいくらか? この掛け算の答えは、“人類が十進法で計算をしてきた年数”だ。北京にある清華大学の研究チームは昨年、2300年前の謎を解いてこの事実を知った。

 この数学の“難問”が出されたのは2008年のこと。清華大学に、卒業生が香港の美術市場で購入したという竹簡(文字の書かれた竹の札)が寄贈された。

 ところが、その竹簡は謎と混乱に満ちていた。竹札の順番はばらばらで、一部破損もみられた。すべてが悪臭を放ち、泥とカビに覆われていた。明らかに墓からの盗掘品だったが、それにしても一体これは何なのか?

◆暗号を解読

 清華大学にある出土文献研究与保護中心(Research and Conservation Center for Excavated Texts)の最上階に、学際的な研究チームが集結し、竹簡の調査を開始した。湿度と温度を調整した部屋に2500枚の竹札を並べ、乾燥させ、汚れを除去するという根気のいる作業を3カ月かけて行った。

「とても困難な作業だった」と、アメリカ、ニューハンプシャー州ハノーバーにあるダートマス大学の古文書学教授で、竹簡の研究に最初期から参加したウェン・シン(Wen Xing)氏は述べる。

 しかし、それだけの価値はあった。ほどなく、1枚が縦51センチ、幅1.27センチほどの竹札の上に、墨で縦書きされた筆跡が見え始めた。放射性炭素年代測定を行った結果、竹簡は紀元前310年ごろのものであることがわかった。

 その後4年間をかけて、シン氏らのチームは竹札の1枚1枚を解読し、内容と書体によって分類した。その結果、60種類以上の異なる文書が発見された。

「ほとんどは歴史に関する文書だ」とシン氏は述べる。「(儒教の経典である)『五経』の1つ、『書経』(尚書)の一部などだ。そのほか戦に関する文書もあり、こちらはすべて古代の王国、楚で用いられていた美しい書体で書かれている」。

 その中で、21枚の竹札は他と異なっていた。数字ばかりが書かれていたのだ。清華大学の数学史学者、馮立昇(Feng Lisheng)氏が正しく並べなおしたところ、十進法による掛け算のマトリクス(行列)が出来上がった。これは、世界最古の十進法の計算表だったのだ。

◆最古の計算表

 計算表は、現代の“掛け算表”と非常によく似ており、上端の行と右端の列には同じ19個の数字が書かれている。0.5と、整数の1~9、そして10の倍数の10~90だ。

 この計算表はすこぶる使いやすいと、ニューヨーク市立大学大学院センターの歴史学ディスティングイッシュトプロフェッサーであるジョセフ・ドーベン(Joseph Dauben)氏は述べる。

 例えば8に7をかける場合、上端の行の8と、右端の列の7を見る。8の下に並ぶ数字をたどり、7の左に並ぶ数字と交わるところを探せば、そこに答えの56が書いてある。

 また、この計算表を使えば、0.5から99.5までの半端な数の掛け算もできる。ただし、それにはまず掛け算する個々の数字を、足し算に変換しなくてはならない。例えば、「29.5×31.5」なら、「(20+9+0.5)×(30+1+0.5)」とする。これで合計9つの掛け算ができるが(20×30、20×1、20×0.5、次は9×30、・・・と続く)、それぞれ計算表で答えがわかる。そのすべてを足し算すると、最終的な答えが得られる。

 しかし、なぜこのような計算表を? 馮氏は、土地の面積、作物の収穫高、税などの計算に使われたのではないかとみている。「このマトリクスを使えば、割り算や平方根の計算もできる。当時、そのような複雑な計算が行われていたかはわからないが」。(ミズノMP-4アイアン

 中国科学院の郭書春(Guo Shuchun)氏は、この計算表は「当時の世界では非常に進んだものであり、中国の、そして世界の数学史にとって重要な発見だ」と述べる。

◆時代の証人

 古い時代の掛け算表は、これまでも中国で見つかっているが、今回、清華大学のチームが解読したものは、とりわけ洗練されていて実用的だ。

 それ以前のものは、「『9かける9は81』、『9かける8は72』などと、掛け算の結果を書き連ねているにすぎない。清華大学の計算表が他と異なるのは、マトリクス構造になっているところと、どんな掛け算も、そして割り算も、さらにはやろうと思えば平方根の計算までも、表を参照するだけで簡単にできてしまうところだ」と、ドーベン氏は述べる。(xxio7アイアン)

「これは後に秦で作られた掛け算表よりはるかに高度だ。紀元前221~206年に作られた秦の掛け算表は、『2かける1は2』、『2かける2は4』、『2かける3は6』といった(中略)簡単な文章で構成されている。文章を使っていては、マトリクスでできるような複雑な掛け算はできない。割り算や平方根など論外だ」。

 清華大学の計算表が作られたのは、中国の戦国時代であり、秦の始皇帝が中国を統一する1世紀前のことだと、シン氏は述べる。

 統一後、始皇帝が最初に行ったのは、自身の権威を脅かすと考えた孔子や他の哲学者の思想を消し去ろうとすることだった。始皇帝は学者を処刑し、文書を書き換え、書物を燃やし、個人の蔵書を禁じた。

 清華大学の竹簡は、おそらく墓に埋められていたために難を逃れた。そして現代まで残り、形成期の中国の歴史的、知的、哲学的側面を我々に垣間見せてくれることになった。

「竹簡は初期中国の思想について教えてくれる」とシン氏は述べる。「彼らは数字を文字で表し、計算を行っていた。また、数学史における重要な発展の1つ、位取り記数法(十進法などの数の表し方)の確立にも寄与している。これはその物的証拠だ」。
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